冬の木、柊(ひいらぎ)の純白の花が一斉に咲き始めました。香り豊かな花で、金木犀、銀木犀の仲間です。これから剪定に入りますが、それでも花は次々と咲いてくれる逞しい柊です。移植した30年前は2mほどでしたが、今では4m近くに成長しました。
上総の方言は何処からきたのか。房州は古代から日本の中央で交差点のような地域であったために言葉(方言)の原点は何処にあったのかを知るには難しいかもしれません。前回では、上総の言葉は、東北弁(ズーズー弁)からきたのではなくて、歴史的背景から、逆に上総弁が東北弁に影響したのでは無いかということでした。
房総弁と東北弁の比較ですが、少しだけ紹介します。先ずは岩手弁です。〜房総弁→岩手弁(標準語)です。おらほう→おらほ(俺の方)、けぇ→け(食べろ)、こえぇ→こわい(疲れた)、まっと→まっと(もっと)〜次は秋田弁との比較です。いっぺい→いっぺ(いっぱい)、えんころ→えんこ(犬)、くっちゃべる→くっちゃべる(しゃべる)、そっだば→そいたば(それなら)、てんげ→てぬげ(てぬぐい)
次は南部弁てす。はなべちゃ→はなべっちょ(低い鼻)、かっこ→かっこ(下駄)、こっばずかしい→こっぱずかす(恥ずかしい)、むぐる→むぐる(潜る)、おべる→おべる(覚える)、次は津軽弁です。あらほど→あらほど(あれほど)、おべる→おべる(覚える)、こちょぐる→こちょがし(くすぐる)、ちっとばぁり→ちとばえ(少しばかり)、もこ→もご(婿)、よばる→よばる(呼ぶ)
以上ですが、房総弁と東北地方の言葉はよく似ていますが、東北では冬の寒さに対応して、できるだけ短い言葉となり、簡略化してきたと言われているようです。これは房総弁からこの地域に適応して進化してきたとは言えないでしょうか。房総弁は東北弁の元となっていたと考えたくなるのは少数意見かもしれませんが…
次に房州弁でもその地域でそれぞれのマイナーな方言の違いかあります。その違いを“標準語“をもとに比較したいと思います。全文は長いので始めの部分だけの比較です。
原文は「雨蛙はなぜ鳴くか〜昔、昔のことだがあるところにそれはそれはへそ曲りな雨蛙がいたそうだ」〜これを安房白浜では「むかあし、むかし、大むかしのこったぁがな。そぉんところはとうだぁかわかんねぇがあるとぉろになぁ あぁんがぁってたら、どうしようもねぇ。へそ曲がりのあんごぉがいたあてよぉ」、
上総の木更津では「アマンゲーロはあんで鳴ぐだぇ〜昔、昔のことだっけんよー、あるところにそりゃーそりゃへそ曲りのアマンゲーロがいたってさ」、袖ヶ浦奈良輪「昔、むかーしのおとだっけな。あるとんにそらそら、へそ曲がりんあまんげえろがいたったち」次は市原八幡町「昔、昔のことだけんど、あるところさよ、えれーへそ曲りなあまんけーるがいただっちよ」
下総の千葉市では「昔々のこったけん、あるとこさ、そうらへそ曲がりの雨げえるがいたんだっち」、小見川町では「あまげえろはなんでなくんだっぺぇ〜むかーし、むかしのことだっけど、あるところに、そらあ、そらあ、へそまがりのあまげえろが、いただっけ」、銚子では「しょんべんげえろはあんでなくだっぺ〜むがし、むがしのこったけっとよ、あるとごになや、そりゃーそりゃーへそがぶん曲がったしょんべんげえろがいだだって」
それぞれの地区は広いので一部の地域から選びましたが、多少の違いはあります。しかしながら、安房、上総、下総との違いがわかります。中でも木更津では“いたってさ“は江戸、銚子の“あるとごになや“は東北弁の影響を受けているようです。松本清張の「砂の器」の中で出雲地方にも東北弁(訛り)があったというストーリーでしたが、日本海沿いの富山などの一部の地域でも東北弁が残っているそうです。北前船の西回り航路で伝わったとすれば、房州から陸路→東北から海路→出雲と考えられないことは無いと思います。
千葉在住半世紀人には上総弁(房総弁)のルーツは不透明のままです。語源はある地域で発生した後は、拡散しながらそれぞれの場所で定着していくものであって、何処かにルーツがあるという考え方は間違っているのかもしれません。今回は難題でしたが、ただ東北弁が房総弁となったのではなくて、その逆であったという説は十分にあり得ると思います。
このブログは「房総のふるさと言葉」の編者、安藤 操さんの本を参考にしていただきました。房州の方言を詳しく調査されていて、楽しい内容の本です。CD付きなのでアクセントやイントネーションの違いがよくわかります。興味がある方は是非一読をお勧めします。これで「上総の方言…千葉在住半世紀人」を終わります。