nakamasa201のブログ

定年からハカ場まで

古希ジィの輪旅〜いにしえのGW

ゴールデンウィークが始まりました。仕事がある人は大変ご苦労様です。そういった中
46年前の私は新しく買った「片倉シルクロード」で輪行の旅に出ました。


出発は1978年4月29日、退社後に寮に戻って夕食を食べた後、前日までに用意
した荷物を持って最寄り駅まで移動、輪行の準備をして列車に乗りました。


行き先は飛騨高山方面、列車を乗り継ぎ到着したのは、越美南線 最終駅「北濃」駅
です。今は長良川鉄道になっていますが最終駅はそのままみたいです。


輪旅(サイクリング)の始まりです。旅程は下図の通りですが、行き当たりばったりの
野宿覚悟の旅でした。


北濃駅を降りた時は小雨模様でしたが、自転車を組み立て走行準備しました。朝方の駅前
は閑散としており、カッパにあたる雨音だけが聞こえていました。
1日目は御母衣ダム近くの宿に泊まりました。(当時は当日電話で宿の予約していました)


2日目は飛騨の合掌造りを観て、飛騨高山に向かいました。途中“松の木峠“〜“小鳥峠“を
越えました。当初の目的は“白山スーパー林道“走破でしたが、残雪で通行止めの為、断念
しました。予定変更です。高山市内を観光後、市外で宿泊し翌日の計画を立てました。


3日目は行先を松本市として、アルプス山々に雪が残る中、峠越えすることにしました。
まずは“平湯峠“で1684mあります。当時は旧道しかなく、しんどい思いをしました。


次は“安房峠“1812mあります。(当時は旧道)平湯峠を下り、平湯温泉から登ります。

二つの峠を走破し、疲れが見える肥満体の24歳です。峠を下った所の“中の湯温泉“に
宿泊しました。温泉は湯の花がいっぱいで、最初は随分汚い温泉だとためらいました。


4日目は“上高地“に立寄り、松本市に行く予定です。上高地へ行く“釜トンネル“が難関で
急坂と交互通行ができない狭い道路で、暗い中、危険を感じ、自転車を押して登りました。

上高地“河童橋“です。石段に座っているのは他人です。新緑と雪が残る穂高連峰が素晴らし
かったことを今でも思いだします。当時は観光客もまばらだったことが写真でわかります。


上高地を下りて松本市へ向かう途中の奈川渡付近の土砂崩れで通行止めに合いました。
松本市へ行くにはこの道しかありません。かといって今更、引き返し二つの峠を越える
パワーはありません。さっき通り過ぎた右側に建設中のトンネルがあったのでそこを通し
てもらい、木曽に向かうことにしました。途中“境峠“1486mを難なく越え木曽の藪原
に着き、それから木曽路を南下して上松の“寝覚めの床“の近くの宿に泊まりました。


最終日は木曽の妻籠宿〜馬籠峠790m〜馬籠宿をゆっくり観光し、木曽路南端の石碑
を観てから、一路“恵那駅“まで急ぎました。
恵那駅で輪行で名古屋駅まで、新幹線で東京まで〜最寄り駅に到着は21時過ぎでした。


現在では旅の情報を容易に確認できますが、当時は地図やガイドブックが頼りでした。
24歳の私にお疲れ様でした。もう二度と真似はできません。
    ーー写真は当時のネガをデジタル化したもので色彩が変ですがご勘弁下さい。ーー