四国遍路〜定年リセット旅-16…南無🙏
四国遍路のブログを書き始めて16回目になります。第一回は昨年の10月でしたが、一年越しのブログになってまいました。四国遍路は今から9年前のことでしたが、記録と記憶と写真を見ながら当時の遍路行をブログに書き綴ってきました。一番札所の「霊山寺」は10月6日に始まりました。徳島、高知、愛媛と進み、我が故郷の香川讃岐の国を巡っています。〜車を基点として自転車での巡礼旅です。
10月21日、遍路旅は16日目となりました。前回からの続きで善通寺市の“善通寺市民体育館“の駐車場に車を停めてから近くの札所を回っていました。そして、75番札所「善通寺」に着いたのは午後1時を過ぎた頃でした。この前にここに来たのは千葉の義父母を連れ、里帰りしてから30数年ぶりです。この善通寺は弘法大師の生誕地としてあまりにも有名ですが、真言宗の開祖として全国にこの宗派のお寺があります。大師様が始めた四国八十八か所遍路ではありませんが、それぞれの場所には大師様の修行の場を見ることができます。
善通寺の境内は広くてお参りには少なくとも1時間くらいはかかると思います。最初に訪れたのは西院側にある「御影堂(大師堂)」でした。小さなお堀にかかる“廿日橋“を渡り、仁王門をくぐってから、屋根がある回廊を進めば「大師堂」に到着です。回廊の柱の上の両側にはお大師様の誕生から入定までの絵画が何枚か設置されています。そして大師堂、今までの札所に比べて、その大きさに圧倒され、更に堂内は荘厳の一言であり、その空間広がりと装飾の色合いに感動しました。(写真はありません)写真手前の石橋は“廿日橋“ですが、明治以前は一般の人は月に一度、20日の日しか渡れなかったといいます。仁王門の北側にある納経所で御朱印をいただいた後に、本堂に向かいます。

自転車をこの場に置いて、180°向きを変えて東院側の“中門“へ徒歩で向かいます。工事中でしたが、そこをくぐると広い空間(広場)の奥の右手に大きな五重の塔が、左手には本堂が見えます。〜お参りが終わり、自転車で境内の周囲の道路を回り“南大門“からの本堂(正面)と五重の塔の写真です。平日でしたが、参拝者が多く賑やかでした。

弘法大師はこの善通寺市周辺で生まれましたが、家は代々、この地域の豪族であったようで、父親は佐伯善通(さえきよしみち、俗名:田公 たぎみ)で、この善通(よしみち)が善通寺の名前の由来だそうです。弘法大師により807年に創建されました。
写真の右手に見える五重の塔は高さ45mで木造では日本で3番目の高さだそうです。〜ちなみに一番高いのは京都の“東寺“で55m、二位は奈良市にある“興福寺“の五重塔で50mだそうです。善通寺の五重塔は懸垂(けんすい)工法という構造で、心柱は基礎の礎石から浮いているそうです。?心柱は心礎に固定されているものだと思っていましたが…別途調査してみたいと思います。
次に向かったのは76番札所「金倉寺 こんぞうじ」です。善通寺市街を通り抜けて、踏切を渡った後に県道を北に向かって走ります。高速道路の架橋をくぐり、5分ぐらい走り、案内標識に従い右折してからほどなくすると札所に着きました。駅名や町名は“金蔵寺“というのですが、このお寺は「金倉寺」です。団体客が先客で来ていたので賑やかな境内でした。仁王門の裏側には大きな草鞋が一対飾られていました。仁王様は健脚の神様とも言われており、そのため、健脚祈願や魔除けとして、仁王門に奉納されているようです。

この日は71番札所から77番札所まで順不同ですが7ヶ所のお寺を参詣することができました。天気は下り坂でしたが、何とかもってくれました。〜この後、丸亀市三条町の姉の家に立寄り、旦那さんと3人でお互いの近況や世間話を30分ほどしてから、旅路に戻ります。とは言っても“善通寺市民体育館“の駐車場まではそんなには遠くはありません。自転車を車に積んでから、今日の宿へ向かいました。
〜宿は宇多津駅前にあるビジネスホテルです。宇多津町は私が18才まで過ごした町です。瀬戸大橋が出来たことで“塩田“だったところは整地されて商業施設や観光施設が立ち並び、住宅地も造成されました。人口は倍増し、すっかりと近代エリアとなりました。ただ、旧市街の町並みは「古街」として、ほぼそのままの姿で残っているのは嬉しい限りです。〜明日と明後日はこの町のお祭りです。計画より1日早かったのがいいタイミングとなりました。
〜次回に続きます。
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