千葉の鴨川〜京都の鴨川を繋ぐ「二葉葵」
ウォーキングコースで見つけた山野草2種です。赤い花はコマツナギで(タマサキクサフジ、レンゲソウと間違えました)、白い花はネコハギだと思います。グーグルレンズでは正解を探しきれずにネットで調べました。蒸せるような残暑の中、恐らく毎年のように紅白仲良く土手に咲いているのだと思います。同じ豆科の仲間です。

この千葉に住み始めて50数年になりますが、県内をドライブやサイクリングなどでよく訪れる場所で、何故ここにこの地名がついているのかというところがあります。それは「鴨川」です。恐らく、カモが多く棲んでる川だったのか、もしかして京都の「鴨川」と関係しているのではと思ったりしていましたが、それ以上の探索はせずに半世紀以上が経ってしまいました。何故に鴨川なのか、図書館やインターネットで少し深読みして見ました。
京都市内を流れる“鴨川“は高野川と合流した下流からであり、それより上流は“賀茂川“です。また、川沿いの道路は“加茂街道“です。賀茂川沿いに「上賀茂神社=賀茂別雷神社 かもわけいかづち」で下流の合流部には「下鴨神社=賀茂御祖神社 かもみおや」があります。賀茂、鴨、加茂と漢字の違いがありますが、仮名では“かも“です。〜地名においては漢字は殆どが後付けであって、本質的には仮名読みが先にあるようです。
話しは古代になりますが、西暦672年(天武元年)に「壬申の乱」が起こりました。天智天皇後の皇位後継を争った古代で最大の内乱でした。この時に勝利したのが「大海人皇子 (天武天皇)」で、賀茂神社の祖“鴨一族“は“大海人皇子“方についていて、その後に全国に勢力を伸ばしていったようです。この時に鴨一族と行動を同じくした技能技術集団もいました。現在でも“かも“の地名が全国に多く残っており、鴨一族が住み着いた土地には“かも“の神を祀った賀茂神社があります。
鴨一族は元は大和の葛城山麓が発祥の地で、神話では神武天皇東遷の時に熊野から大和へ道案内したカラスに変身した賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)に助けられたそうです。〜その時から八咫烏(やたがらす)と言われるようになりました〜この後、鴨一族は葛城山の郷から山城国(京都)に移り住んだそうです。京都には鴨(賀茂)族を祀る有名な上賀茂神社と下鴨神社があります。この二社は葵祭りで有名ですが、祭儀に関わる全ての人や社殿の御簾(みす)や牛車に至るまで“双葉葵“を桂の小枝に挿して飾ることから葵祭りとなったそうです。
葵は「あふひ(日向)」で、太陽を意味する別雷(わけいかづち)に通じるとも言われていて、一般に葵祭となったのは1694年(元禄7年)以降と言われています。上賀茂神社(左)、下鴨神社(右)の“神紋“ですが、共に双葉葵で、全国の“かも“神社はこの神紋だそうです。下の写真は二葉葵の葉です。(ネットから)

全国に勢力を伸ばした鴨一族ですが、移住する前にはその土地の様子を走使部(はせつかいべ)という調査団を送っていて、定住先として適正となれば、鴨一族と技能技術一族がその地域で生活するようになります。製鉄の日置氏、朱や水銀の精錬の壬生氏、先遣隊であった丈部(はせつかいべ)氏など農業、工業と様々な分野の人々がその土地で暮らすようになり、賀茂神社の周辺には、その名が地名として残ったようです。
千葉県の鴨川市とその周辺は、律令制度以前(西暦701年より前)から「長狭郡 ながさごおり」と言われていました。 和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう〜平安時代中期に編纂された辞書)には8つの郷が記されていました。…は現在地名
①壬生郷(みふ)旧星ヶ畑村(現鴨川市)美宇が遺名地(遺された場所)…曽呂
②日置郷(旧二子村(現鴨川市)比岐を遺名地とし、曾呂川中流から下流…曽呂、太海
③置津郷(おきつ)勝浦市興津を遺名地…鴨川市小湊から勝浦市鵜原
④田原郷(たはら)かつて田原庄と称したという伝承から、加茂川の中流域…田原、主基
⑤酒井郷(さかい)鴨川市北風原に「酔酒の井」の伝承があり、加茂川上中流域…吉尾
⑥伴部郷(ともへ)旧和泉村(現鴨川市)富部台、待崎川中流・下流左岸…東条、西条
⑦賀茂郷(かも)加茂川下流域…鴨川、花房
⑧丈部郷(はせつかひべ)旧大幡村(現鴨川市)作壁(作掛)加茂川最上流域…大山
・その他、和名類聚抄に記載がない川合(かわい)は加茂川と金山川の合流点近辺
鴨一族が1300年以上も前に、現在の安房地域に移住してきたことは間違い無いようです。安房の丸山町に“賀茂神社“がありますが、祭神は京都の上賀茂神社と同じ“賀茂別雷命“(わけいかづちのみこと)です。縁起では712年(和銅5年創建)創建とされています。この賀茂神社こそが、鴨川の地名のルーツになったという説がありますが、私も同感です。
写真は賀茂神社の本殿と、お賽銭箱に記してあるのは上賀茂神社と同じ双葉葵です。(グーグルマップから)

この賀茂神社の近くには“ 莫越山(なこしやま)神社“がありますが、鴨一族が住み着いた以前に阿波忌部が安房の地に移り住み、安房神社を創建し、それと共に"我が故郷"の讃岐忌部が創建した神社が“莫越山神社“です。やはり古代から安房の地域は歴史的にも大和と深い繋がりがあり、調べる程に興味深いところだと思います。〜現在では“道の駅“が多い地域でそれぞれが個性的な場所でもありよく行きますが、これからはもう少し歴史的遺産の場所を訪れたいと思うようになりました。
徳川家の家紋は「三つ葉葵」ですが、三つ葉葵という植物は存在しません。葵の葉を合成したもので、いわゆる「徳川葵」や「葵の御紋」と呼ばれるものです。 これは、徳川家の前身である松平氏が、所領の三河国にある賀茂神社の氏子だったことに由来するそうです。〜双葉葵は京都の上賀茂神社、下鴨神社、そして千葉の長狭郡(鴨川とその周辺)の賀茂神社、更に徳川家の家紋と遠からずとも繋がりがあったことがわかりました。
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