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定年からハカ場まで

石垣は歴史を見ていた②…穴太衆(あのうしゅう)

なかまさ70

我が家の周りの田んぼでは稲刈りが始まりました。日中の温度が35℃前後が続く中で過酷な作業です。コンバインが稲を刈り進むにつれてその切株からは気のせいか新米の香りがします。田植えからおよそ120日になります。コンバインはこの時期だけフル稼働です。

江戸幕府は天下普請として重要な石垣工事は各大名に出資させて、工事は幕府直轄の穴太衆が一括請負いとしていました。石垣は戦さの要で主要な要塞設備であり不正、不備や機密漏洩が無いように幕府は少なからず関与していました。当時の大名の数は全国で150ほどあったそうですが、工事後の穴太衆は城壁などの営繕工事のために当地の大名のお抱えとなって“穴太役“として常駐することになりました。


大大名などは400石の高額でで召し抱えていたそうですが、大体は100石程度でした。大小150もある大名からの穴太衆全体のお抱え料は少なく見積もっても1万5000石ほどになっていたと予想されます。この石高と全国に広がる穴太衆のネットワークは幕府にとっては脅威となり得る存在となっていました。そこで、幕府は穴太頭の四家(堀金出雲、戸波駿河、高村三河、戸波丹後)を滋賀の坂本から江戸に引っ越しさせました。大名の参勤交代のように自領と江戸の二重生活を強いられました。


この四家の中の戸波家は穴太頭の代表家として幕府の役職「御材木石奉行支配」を務めました。このブログを書くきっかけとなった『穴太頭と穴太衆』の著者、戸波亮氏こそがその子孫だったのです。絵図はその本から引用させていただきましたが、赤枠内に穴太頭四家のお墓が描かれており、驚くことに400年経った今でも同じところに現存しているそうです。右下写真は戸波駿河家の墓所です。(インターネットから)

お墓の向きが、比叡山の方を向いているそうです。織田信長の時代に“延暦寺焼き討ち“がありましたが、当時のお寺は大陸との繋がりなどで資金が集まり、これを守るために僧兵が置かれるようになりました。織田信長の「楽市楽座」は寺による物価操作を防止する目的でしたが、延暦寺は猛反対、不穏な動きもあり、とうとう織田信長は兵を挙げました。〜江戸幕府になっても延暦寺の監視の意味もあって比叡山に向いているそうです。穴太衆は江戸幕府の隠密役だった可能性があったかもしれないそうです。


1615年(元和元年)に一国一城令が発せられ、また、戦さもほとんど無くなり泰平の世となり、安土桃山時代から続いた築城ラッシュは無くなりました。やがて城壁などの営繕の為に穴太衆は世襲制として代々その地に残りましたが、殆どはその出先の各藩の元で土着することになったようで作事奉行や石奉行の配下に置かれていました。〜徳島城の築城の後、穴太衆の一部が山中の勝浦町に開墾した村で坂本村というところがあります。


また、どこの大名にも属さない師匠格の穴太頭は、故郷の坂本の地で幹部級の石垣師の育成にあたり、穴太の石積み技術伝承を行っていたそうです。時代は進み、その技術は引き継がれていきます。穴太衆の石積みの奥義は、すべてが口伝で文書などはいっさい残されていません。穴太衆の口伝として「石の声を聴き、石の行きたいところへ持っていけ」という言葉があるそうです。現在でも石を配置する設計図はないそうです。この3次元のブロックパズルを組立てる技術は、石と真剣に向き合う者だけが、なし得る技なのです。 


江戸の末期の頃には穴太頭は幕府の施策もあったのか、戸波駿河、戸波丹波の二家となっていました。そして駿河家は天保の飢饉と領地経営の不備で改易処分となり、丹波家は幕末の上野戦争で彰義隊に入隊したそうですが、その後、幕府の仕事も無くなり、残念ながら明治維新なって穴太頭は歴史から消えてしまいました。


現在、穴太衆の技術を日本で唯一受け継ぐのが、粟田家15代の栗田純徳(あわたすみのり)さんです。先々代と先代の純司さんが粟田建設を立ち上げ、株式会社としました。大津市坂本に拠点を置き、穴太衆の技術集団として全国で活動を続けています。先祖は徳島県(阿波国)の出身のようで、屋号は阿波屋、初代は喜兵衛といい、11代の万吉の時に近江の坂本に移り住んだと言われています。万吉は桶屋を営みながら井戸掘り職人だったそうで坂本での屋号は「桶万」といいました。井戸を掘ってきれいな水を保つには、その壁面に石を積むことですが、その技術を修得していた万吉は、江戸の初期には正式に延暦寺に出入りすることを許されて道路や石垣の補修を任されることになったようです。


今回のブログは君津市泉にある「穴太商店」がきっかけでしたが、石積み集団"穴太衆"の穴太頭の末裔の方が、この穴太ホールディングの代表であって、その方が書いた『穴太頭と穴太衆』で穴太衆の事を深読みする事が出来ました。先祖探しの本ですが、過去の確かな情報を調査して真実に近づいていくのは推理書であり歴史書のようでもあります。読み応えのある本でした。穴太商店のスイーツは美味しいです!!